いじめ考。
2017年 12月 30日
いじめについてひとつ書こうと思うのだ。
私自身いじめをされたこともあるしいじめをしたこともある。
まあ、私は性格が多少破綻しているところがあるからいじめを受ける回数の方が断然多かったのだけれども。
いじめをする側の思いはただひとつ。
「俺たち・私たちにこんな不快な気持ちにさせているこいつ。俺たち私たちに世間に害悪をなすであろうこいつ。そんな奴に俺たち私たちはそれ相応の罰を与えてやってるんだぜ。これは許される行為なんだぜ」
に尽きるのではないか。年端もいかぬ小学生ならいつしかそれはゲーム感覚になり全員にその思いは波及していくだろう。
大人であるならば、罪人を罰している一種のカタルシスを味わうこともあるかもしれない。もしくは、正当な理由を貼り付けて自分たちの行為を正当化するのだろう。
なんにせよ、加害行為を正々堂々行うには理由が必要になる。理由があれば賛同してくれる。むしろ自分が正義の使者だ。
かくしていじめのリーダーは正義の使者として、一人の被害者を粛清するのだ。
by reikul
| 2017-12-30 00:06
| 雑記